パリ国際競馬会儀とは?その役割と日本の関わり
ギャンブル初心者
先生、「パリ国際競馬会儀」ってなんですか?
ギャンブル研究家
競馬統轄機関の事務局長クラスが集まる会議で、競馬の運営や情報交換を目的としてるんだ。
ギャンブル初心者
日本はいつ参加したんですか?
ギャンブル研究家
1973年の第7回大会から毎年参加してるよ。
パリ国際競馬会儀とは。
パリ国際競馬会儀は、1967年にフランスの仏国馬種改良奨励協会が主催してパリで開催された大会です。この会議は、1961年に設立されたイギリス、アメリカ、フランス、アイルランドの4か国の連絡委員会を母体にしています。
会議の目的は、世界中の競馬統轄機関の事務局長クラスが集まり、競馬に関する政策、運営規則の統一、情報や経験の交換、相互援助、共同研究の推進です。日本は1973年の第7回大会から参加しています。
1993年に会議の名称が国際競馬統括機関連盟(IFHA)に変更されました。現在は、54か国から65団体が加盟しています。競走馬の能力を示すレーティングは、IFHAの下部組織である国際サラブレッドランキング諮問委員会によって行われます。
日本はIFHAの執行協議会に参加する加盟国12か国の代表の1つです。血統や馬の記録に関する議題は、1976年に設立された国際血統書会議で個別に協議されます。日本は1978年からこの会議に参加しています。
パリ国際競馬会儀の起源と目的
パリ国際競馬会儀の起源と目的
パリ国際競馬会儀は、馬事普及や競馬産業発展を目的に1855年にフランスで設立されました。当時は産業革命により、馬の重要性が低下しつつありましたが、会儀の創設者たちは馬術の伝統と騎乗技術の普及を目指しました。また、会儀の重要な目的として、国際的な競馬の標準化と競走における不正防止の促進があります。
日本のパリ国際競馬会儀への参加
日本のパリ国際競馬会儀への参加
日本は1973年以来、パリ国際競馬会儀に参加しています。開始当初はオブザーバーとして参加していましたが、1983年に正式加盟を果たしました。日本は会儀の運営に積極的に参加し、2012年から2016年まで会長に就任するなど、重要な役割を担ってきました。この参加を通して、日本は世界中の競馬関係者と交流を深め、競馬産業の発展に貢献しています。
パリ国際競馬会儀の名称変更と加盟団体
パリ国際競馬会儀は、当初「国際競馬連盟」として設立されました。しかし、1940年代に「国際競馬協会」に改称され、その後1978年に現在の「パリ国際競馬会儀」という名称になりました。
加盟団体も、設立当初はヨーロッパ諸国の競馬統括団体のみでしたが、その後世界中の競馬組織が加わり、現在では90以上の国と5つの国際組織が加盟しています。これにより、パリ国際競馬会儀は世界の競馬界における重要な組織として、競馬の国際的な調和と発展に寄与しています。
競走馬のレーティングとパリ国際競馬会儀
競走馬のレーティングとパリ国際競馬会儀
パリ国際競馬会儀は、国際的な競走馬の基準を設定する重要な役割も担っています。同会儀では、「インターナショナル・ハンディキャップ」と呼ばれるレース馬の能力を評価するレーティングシステムを構築しています。このレーティングは、世界中の主要な競馬場でのレース結果に基づいて決定され、馬の強さを数値で表しています。
このレーティングは、国際的なレースでの出走馬のハンデキャップの決定や、馬の能力比較に使用されます。これにより、異なる国の馬が公平に競争できるようにし、競馬の国際化に貢献しています。
国際血統書会議とパリ国際競馬会儀
国際血統書会議は、サラブレッドの血統管理システムを整備するために1908年に設立された国際機関です。この会議は毎年開催され、サラブレッドの血統書を審査し、登録します。パリ国際競馬会儀は、この国際血統書会議主催の会議の一つです。
パリ国際競馬会儀は、通常、毎年10月にパリで開催されます。会議では、サラブレッドの血統書に関する技術的な問題が議論され、国際的な規則が制定されます。また、会儀では、各国から集まった競馬関係者が交流し、情報交換を行います。