戦時下の競馬「能力検定競走」の真実
ギャンブル初心者
競馬の用語である『能力検定競走』について教えてください。
ギャンブル研究家
能力検定競走とは、昭和19年春から、馬券の発売が禁止されたために実施された競走のことです。戦争の影響で、昭和20年にはそれもなくなりました。
ギャンブル初心者
なぜ馬券の発売が禁止されたのですか?
ギャンブル研究家
戦争の激化のため、物資や資金を戦争に集中させる必要があったからです。
能力検定競走とは。
戦時中の1944年春、政府の命令により馬券発売が禁止されたため、その年の春と秋の2開催分は「能力検定競走」として競馬が開催されました。クリヤマトの皐月賞、カイソウのダービー、ヤマイワイの桜花賞などがこれに該当します。1945年に戦争が激化すると、能力検定競走も中止となりました。
能力検定競走の背景
戦時体制への突入により、日本競馬会も1940年に軍需産業に協力を要請されました。このため、娯楽性が強いとみなされていた競馬は中止され、代わりに軍馬の育成を目的とした「能力検定競走」が実施されることになりました。能力検定競走は、軍馬として適性のあるサラブレッドの選定と、その能力の評価を目的としたものでした。レースでは障害物が設定され、持久力や適応力が試されました。
能力検定競走の開催時期
戦時下の競馬において実施された「能力検定競走」の開催時期については、戦時下の物資不足や戦況の悪化により変遷を辿りました。当初は1943年(昭和18年)に開催が予定されていましたが、物資調達の困難さから延期が生じました。その後、1944年(昭和19年)5月に開催されることが決定し、約4か月間実施されました。しかし、戦況の激化に伴い、同年8月には開催が中止され、以降は再開されることなく終了しました。
能力検定競走の代表的な競走馬
能力検定競走の代表的な競走馬
戦時下の過酷な環境下でも、競馬は国民の娯楽として機能し続けていた。能力検定競走では、歴史に名を残す名馬が数多く誕生し、戦後の競馬界を支えた。
代表的な競走馬の一頭がトキノミノルだ。1941年に誕生したこの競走馬は、戦時も含めて9戦9勝という驚異的な成績を残した。戦後に開催された日本ダービーでも優勝し、日本競馬史上初の無敗の三冠馬となった。
もう一頭の代表格がハクチカラである。1944年に誕生したハクチカラもまた、数々の競走を制した名馬だ。戦後には、天皇賞(秋)を含むG1レースを3勝し、戦時下における競馬の象徴となった。
他にも、皐月賞で史上初の3連覇を達成したセントライトや、戦後に活躍したメイヂヒカリなど、数多くの名馬が能力検定競走で誕生している。これらの競走馬は、戦時下という厳しい時代を乗り越え、日本の競馬界に輝かしい歴史を刻んだ。
能力検定競走の廃止とその影響
競馬における戦時下の「能力検定競走」は、軍部の意向を反映したものでしたが、戦後になると廃止されました。この廃止は、競馬の本来の姿への回帰と、軍国主義からの脱却を象徴するものでした。
能力検定競走の廃止は、競馬人気の急回復と、サラブレッドの改良につながりました。また、馬券発売の再開により、競馬は国民の娯楽として復活しました。こうした変化は、戦後日本における競馬の復興と、平和の回復を物語っています。
戦時下の競馬の苦難と復興
戦時下の競馬は、さまざまな苦難に直面しました。物資不足により、レースの開催が困難になり、馬の飼料も不足しました。また、空襲によって競馬場が被害を受け、開催が中止されることもありました。さらに、戦況の悪化に伴い、騎手の多くが召集され、競馬の運営は困難を極めました。
しかし、戦後になると競馬は徐々に復興していきました。1946年、日本競馬会が設立され、近代競馬の基盤が築かれました。1949年には、中央競馬の開催が再開され、競馬は国民の娯楽として再び親しまれるようになりました。また、競馬場も再建され、近代的な設備が整えられました。戦時下の苦難を乗り越えて、競馬は日本に深く根付いたスポーツとして復活したのです。