競馬用語「騎手」の変遷と養成システム
ギャンブル初心者
競馬の騎手になる方法について教えてください。
ギャンブル研究家
かつては調教師のもとで修行する必要がありましたが、現在は競馬学校で3年間の講習を受けることで騎手免許試験を受験できます。
ギャンブル初心者
競馬学校の講習は短期と長期があるのですか?
ギャンブル研究家
現在は長期講習に一本化されています。
騎手とは。
競馬用語の「騎手」は、乗り手とも呼ばれます。戦前は、調教師のもとで修行して騎手になることが一般的でした。
戦後は、2つの騎手養成制度が導入されました。
* -短期講習制度(昭和23年~):-調教師のもとで修行後、数回の短期講習を受講して騎手免許試験を受験する制度。
* -長期講習制度(昭和25年~):-日本中央競馬会馬事公苑の2年課程の講習を修了後に騎手免許試験を受験する制度。
昭和57年、馬事公苑白井分苑に競馬学校が設立されてからは、長期講習制度に一本化されました。養成期間は3年間に延長されました。
なお、騎手免許試験は、受験資格要件を満たしていれば誰でも受験できます。
戦前の騎手養成
戦前の騎手養成は、主に二つの方法で行われていた。一つは、馬喰や馬子など馬に関わる職業の人々が、子どもの頃から馬に親しみ、自然に騎手の素養を身につける方法である。この方式では、長年馬と親しむことで、馬の特性や扱いを十分に理解することができた。もう一つは、成績優秀な少年が競馬学校で騎乗術・調教技術・馬の知識などを学ぶ方法である。競馬学校は、帝国競馬協会が1924年に開設したものだが、当時は騎手不足を解消するための制度であった。
戦後の短期講習制度
戦後の騎手養成では、短期講習制度が導入されました。この制度は、1950年代に騎手不足に対処するために考案されました。希望者は、募集に応募し、合格すると6か月間の講習を受けました。講習では、乗馬の基本技術、競馬のルール、馬の手入れなど、騎手として必要な知識と技能が教授されました。
合格者は、見習騎手としてデビューし、一定期間の騎乗を経て、正式な騎手免許を取得できました。この短期講習制度を通じて、多くの若者が騎手としてデビューし、競馬界の発展に大きく貢献しました。
戦後の長期講習制度
戦後の長期講習制度
敗戦後の日本競馬界において、騎手の育成には新たな制度が導入された。1949年に日本中央競馬会(JRA)が発足し、騎手の養成を体系化するために長期講習制度が制定された。これは、牧場での実務経験や座学での講義、競馬場での実地訓練を通じて、騎手としての基礎を習得するシステムであった。
競馬学校設立による一本化
競馬学校設立による一本化
かつて、騎手は馬主や調教師の個人契約によって養成されていました。しかし、1954年に日本中央競馬会 (JRA) が騎手養成所を設立したことで、騎手の養成システムは大きく変化しました。
それまでの分散された養成方法は統一され、騎手の質の向上と公平性が図られるようになりました。JRA 騎手養成所では、乗馬技術や競馬に関する知識・技能はもちろん、一般教養や規律についても教育が施されています。
騎手養成所を卒業した騎手は、JRA の競馬学校でさらに実戦的な訓練を受けます。そこで、レースで求められる判断力や駆け引きを向上させ、デビューに向けて準備を行います。この養成システムにより、騎手のレベルは著しく向上し、競馬の質も飛躍的に高まったのです。
現在の騎手免許試験
現在の騎手免許試験は大きく変遷を遂げており、現在はJRA(日本中央競馬会)が実施する「中央競馬騎手免許試験」と、地方競馬全国協会が実施する「地方競馬騎手免許試験」の2種類があります。中央競馬騎手免許試験では、競走に関する知識や技術の筆記試験に加え、障害飛越や実馬騎乗など実技試験が課されます。また、騎乗技術や基本動作などの技術審査も行われます。一方、地方競馬騎手免許試験では、実技試験が主体となっており、障害飛越や実馬騎乗に加えて、模擬レースでの実践的な騎乗が審査されます。