競馬の一番の魅力はやはり競走馬。かっこいい綺麗なお馬さん。
競馬といえば馬券を購入したのギャンブルの要素が目立ちますが、競走馬の強さ美しさに惚れてしまうのも競馬ファンの宿命です。
競馬・競走馬の魅力にすっかりはまってしまった方々の体験談を紹介致します。
※体験談は公募させていただいた個人の体験談です。サイト掲載にあたり言葉尻の編集をさせていただいているものもあります。
体験談①:芦毛の怪物として伝説になったゴールドシップ。
女性・39歳の体験談
競馬を始めたきっかけは、彼氏がずっと競馬ファンだったので、ほぼ毎週一緒にJRAの競馬中継を見ていて、自然と始めるに至りました。その中でも私の心を奪ってしまったのは、芦毛の怪物ゴールドシップです。
最初に馬券を買ったのは、後々歴史的珍事として語られるゲートにはさまった宝塚記念です。それでも最後はまくってくるのではないかとすら思いました。競馬場の人たちは馬券を投げていましたが、それでも掲示板までは届くのではないかと私は期待していました。
ゴールドシップに関しては、儲けより、ファンとして馬券を買うという感覚でした。もう少し早くファンになっていれば、競馬場で本物を見る機会があったかもしれません。競馬場に初めて行ったのは今年なので、ほんとは一番会いたかったのはゴールドシップだなあ。凱旋門の本馬場入場も可愛くて、ユーチューブでいまだに見てしまいます。
今は、ファンになっている馬はいないので、勝てる馬券選びばかりです。ゴールドシップ全盛期に競馬ファンになっていれば、応援馬券を買ったと思います。
しかし、競馬を始めるきっかけは、ゴールドシップ。なんだか馬というより人間のようにキャラの濃い芦毛さんに心を奪われてしまいました。産駒が楽しみです。
ゴールドシップは強く魅力的な馬でした。ファンになった人も多かったでしょう
体験談②:トウカイテイオー有馬記念の奇跡の復活劇。
男性・47歳の体験談
私が今までで一番感動した競馬レースは、1993年の第38回有馬記念でトウカイテイオーが勝ったレースです。データを重視して予想する私にとっては1年ぶりに出走する馬なんて勝てる訳がないと切り捨て対象にしてましたが、当日パドックを観てトウカイテイオーの素晴らしい馬体とハンサムな顔にブルッと震えがきました。これは外せないぞという気持ちが高まり、暮れの大勝負も面白いかもと考えを変えて、トウカイテイオーの単勝を厚めに買ってしまいました。このレースでは、その年や昨年のG1馬などが集まっていて、人気あるトウカイテイオーも4番人気まで落としていたので、馬券を握り締めている私は、無事に走ってほしい、勝ってほしい、馬券当たってほしい気持ちで心臓バクバクでした。
レースが始まり無難な位置で走っている姿に先ずは安心しました。そして4コーナーを回って、やはり1番人気のビワハヤヒデが先頭に踊り出ました。この馬の勝ちパターンなので、やっぱりコイツが勝つかと思った瞬間、ビワハヤヒデの外から赤い帽子が上がってきているではありませんか。トウカイテイオーです。馬体合わせて接戦と思いきや、なんとビワハヤヒデを並ぶ間も無く抜き去りました。1年ぶりのG1なのになんて凄い脚なんだろう。ゴールする前から大泣きしながら大きな拍手と声援を贈りました。
長期間の休み明けで復活するという偉業を成し遂げたトウカイテイオーはスゴイですね
体験談③:グラスワンダー、スペシャルウィーク、エルコンドルパサーの感動の世代。
男性・47歳の体験談
私が今までで一番感動したレースは1999年の有馬記念です。
この年、エルコンドルパサーが凱旋門賞2着となり世界に日本の競馬をアピールしましたが、国内では同じ歳のスペシャルウィークとグラスワンダーが競馬界を引っ張っていました。この2頭が初対決したのが1999年の宝塚記念でしたが、結果はグラスワンダーが直線で引き離し、スペシャルウィークの敗戦となりました。
そして、2度目で最後の対決となったのが1999年の有馬記念です。その後、天皇賞・秋、ジャパンカップと勝利し秋のG1三連勝を目指すスペシャルウィークが、グラスワンダーに雪辱できるかというレースでした。
レースは後方のグラスワンダーを最後方からスペシャルウィークがマークするというものでした。鞍上の武豊騎手としては敵をグラスワンダーに絞ったのかもしれません。スローペースのレースなのに後方ということで、場内も大丈夫かという雰囲気がありました。しかし、2頭は3コーナー付近から上がっていき、ゴール前では2頭が重なるようにゴールインしました。最後の勢いからスペシャルウィークが有利かと思われ、武豊騎手もウイニングランを始めました。しかし、掲示板の一番上にあがったのはグラスワンダーの番号でした。掲示板に結果が出たときの武豊騎手の驚いた顔は今でも忘れられません。その後の報道でその差はたった4cmとのことでしたが、その4cmが大きな差となりました。
しかしながら、この有馬記念で激突したグラスワンダー、スペシャルウィーク、そしてエルコンドルパサーはその後も競馬ファンに長く語られるライバルの物語になったと思います。
4cmの着差は話題になりました。同着でもよかったのではないかと思いますけど。私はリアルタイム世代ではありませんが、この世代は凄い世代と語る人は多いです
体験談④:ダービー馬マカヒキ。ファンになった馬が期待を裏切ってしまうことも多いのもまた競馬。
男性・20歳の体験談
2016年、クラシック戦線が史上まれにみる激戦となった年、一頭の競走馬の虜になってしまいました。当年のダービー馬、マカヒキ号です。
前年の若駒ステークスに出走した際、単勝オッズ1倍台の圧倒的な1番人気に推されているのをみて、「こんなもん本当に強いのか?」と半ば疑いの目でレースを観戦しびっくり。他馬を寄せ付けない圧勝劇でした。このとき私は、「この馬は来年のダービー馬だ」と確信したのです。
その後2歳王者リオンディーズを弥生賞で置き去りにし、無敗のまま皐月賞まで駒を進めて見せました。その皐月賞では伏兵ディーマジェスティの末脚に屈しはしましたが、迎えたダービーではサトノダイヤモンドとのハナ差の激戦を制してダービー馬の栄誉に輝きました。その後すぐに凱旋門賞への挑戦が発表されるなど、「最強世代」のダービー馬としてこのままスターダムを駆けあがっていくものだと信じ込んでいました。
前哨戦となるニエル賞こそ僅差で制したものの、初の海外馬券発売となった凱旋門賞では1番人気に推されながら惨敗。この頃から「マカヒキは終わった」との声がささやかれるようになります。とはいえ私は2歳時からダービー馬と確信し、実際その通りの活躍を演じてくれたこの馬を裏切ることは到底できませんでした。
年が明け4歳馬となり、初戦に京都記念を選んだマカヒキはまたも期待を裏切ってしまいます。ここまでくると本当にこの馬の強さがわからなくなってきたわけです。ネット上での評価も一時に比べ相当に下がっていました。それでも信じるしかなかったのです。
そして迎えた大阪杯。すでにG1を3勝し勢いづくキタサンブラックとの対決。昨年のグランプリ2着の実績もあり、当然の1番人気に推されていました。一方のマカヒキは近走の負けが響いたか、前年のダービー馬としてはやや物足りない2番人気。しかし私はこう思ったのです。「本当はめちゃくちゃ強いのに、この人気なら美味しい!」もはや取りつかれています。思考停止に陥った私は場外発売の中山競馬場の券売機の前でおもむろにマークシートを取り出し、財布の中身を確認したあと、ほとんどそのすべてに相当する金額をマークし終えていました。
レースの結果はお察しの通り。2着どころか、馬券圏内にも入れずの4着。内容はまずまずでしたが、煮え切れない結果と空っぽの財布にショックを隠し切れないまま、独りトボトボと船橋法典駅まで歩きかえりました。失ったのは金額にすれば3万円そこそこですが、勝利を確信した馬がアッサリ負ける姿を見るのはたまらないものがあります。
もう競馬をやめてしまおうかと初めて思った瞬間でした。まあ、やめておりませんが、、、
強いと思ってファンになった馬が、その後の成績が振るわないことは結構あります。ショックですけどそれも競馬ですね
体験談⑤:最強サイレンススズカの最後のレース。天皇賞・秋。沈黙の日曜日。
男性・41歳の体験談
自分は父親と兄の影響もあり、競馬は身近なものでしたが、現在は競馬を辞めました。辞めただけでもなく、競馬中継すら見なくなった、見られなくなった出来事があります。
おそらく競馬ファンならご理解を頂けると思いますが、天才ジョッキー武豊を鞍上に乗せた1998年秋の天皇賞があまりにも衝撃でした。破竹の勢いで連勝し、負ける理由なんか全然ない。これぞ競馬の真骨頂とも思えるような気持ち良い大逃げ。圧倒的な強さで天皇賞もぶっちぎってくれると期待していました。そうです。サイレンススズカです。自分の周りでもスゴい人気で、強かったし、速かったですよね。
当然、負ける要素ないと思ったのでサイレンススズカを軸に買いました。レース途中で失速して、まさかの骨折…。それも予後不良による安楽死…。自分はテレビ中継を見ており、競馬場にはいませんでしたが、おそらくあの時、観客が全員、息を飲んで言葉を失ったと思います。間違いなく最強の名馬の1頭であったサイレンススズカの突然の死。
後日語、武豊がメディアに語った、あるいは語りたくなかった話。人馬一体って本当にこういうことを言うんだと思い知らされられた、武豊の涙。感情がごちゃまぜになってしまって、その後、競馬をしていても以前のように楽しむことが出来なくなり、結局辞めてしまいました。今の医療技術なら助けられるのでしょうか。我々の掛け金を競走馬のためにも使って頂けることを望みます。
大逃げというレーススタイルで注目されたサイレンススズカの骨折・予後不良はショックだっとと語る方は多いですね
体験談⑥:三冠馬オルフェーヴル
男性・37歳の体験談
2010年の秋ごろ、職場の近くにWINSがあり会社の上司に誘われてなんとなくついていったのがきっかけでした。
それまでは、競馬と言えば武豊とディープインパクトぐらいしかしらず、特別に興味をもったこともなかったのですが、先輩から競馬の知識を教わりながら、時々ついていくようになりました。
そういう中、翌年の2011年史上7頭目となる三冠馬オルフェーブルとの出会いで競馬にどっぷり嵌ることになってしまいます。
皐月賞まで、その年のダービー候補の一頭でしかなかった(しかも特別有力というわけでもない)オルフェーブルが皐月賞を完勝すると、あれよあれよという間に三冠馬へと昇り詰めていく様子を競馬を始めてすぐに見ることができたのは、非常に幸運だったと言えると思います。その後の、凱旋門の二年連続の2着や阪神大賞典の逸走などこの馬にはずいぶんと楽しませてもらいました。
そのオルフェーブルも、種牡馬となりいよいよ今年から、初年度産駒が走り始めます。あの沈み込むように加速していく父親の走りや、やんちゃな性格を受け継いだ子供が出てくるのを今から期待しています。
来年のダービーに一頭でもいいので出てくれればなぁ~とオルフェファンとしては願っています。
オルフェーヴルは本当に強い名馬でした。競馬ファンを増やすのにも一役買っていたのでしょうね。
体験談⑦:キタサンブラック
女性・31歳の体験談
2017年の宝塚記念で、キタサンブラックは絶対に連対するだろうと思っていました。結構荒れる可能性もあるかもしれないけど、キタサンブラックがまさか3着以内に入らないとは思いませんでした。
いろんな展開を予想して、キタサンブラックが外枠であることも考慮しつつ、少頭数であることも警戒しつつ、それでも3着までに入るだろうと思っていました。
外国人ジョッキーの宝塚記念の勝利0のジンクスも破られる可能性もあるだろうと思いつつ、それでもペースの魔術師武豊を信じました。日曜日に弱い武豊騎手ですが、大舞台では実績もあり、外せませんでした。
しかし、投票締め切りまで悩んで、勝負するのやめようかとも思っていたんです。一緒にいた友人が横でゴチャゴチャうるさかったので、最終的にゆっくり考えることもできなくなりました。もうヤケクソで、人生かけるくらいの大勝負です。
今思えば、どうせ勝負するなら、キタサンブラックが連対しなかった時の抑え馬券も買えば良かったんです。それも考えていましたが、何せ横でゴチャゴチャうるさい人がいて、私もイライラしていました。
最終的にいろいろなパターンではなく、キタサンブラックを軸に5頭流して、今までて一番お金をかけました。結果は惨敗。競馬は辞めていませんが、その友人との付き合いを辞めました。
キタサンブラックの宝塚記念の負けは衝撃でしたね。